科研費による共同研究に伴う北部構内遺跡試掘調査(2023.12.18~12.20)
京大文化遺産調査活用部門のメンバーを中心に進めている共同研究(科学研究費補助金基盤研究(C)22K00985「「都市化」とは何か-歴史都市京都近郊における長期的検証-」代表・伊藤淳史)の一環として、さきに遺跡探査を実施した北部構内において、小規模なトレンチ(東西2メートル×南北5メートル)を設定した試掘調査を実施しました。






トレンチの状況についてはこちらの動画も参照下さい。
京都大学の北部構内は、幕末の一時期に土佐藩邸が設置され、のちに陸援隊屯所として使用されたことが知られています。これまでの発掘調査で、南側を画する東西方向の堀が見つかり、土佐で作られた当時の瓦が大量に出土しています。しかし、それ以外には関連する調査成果は無く、また、藩邸の規模や内部の様子を示すような記録類も残っていないことから、構内のどのあたりまでが藩邸の敷地となっていたのか、わからない状態にあります。
探査を実施した理学部6号館西側の空閑地では、敷地の南辺付近で、地表下1mあまりに東西方向にはしるような反応が認められていたため、その場所をカバーするようにトレンチを設定しました(写真1)。
仮にここで大規模な溝が確認されるとすれば、藩邸の北側を画する遺構となる可能性があります。 調査は、表層の芝生を慎重に剥がして別置した後(写真2)、まず小型の重機で慎重に掘り下げを進めました(写真3)。
結果、残念ながら地表下1.6メートル前後まで、大学敷地となって以降の石炭ガラをはじめとする廃棄物などが埋められており、藩邸の時期となる江戸時代の地層は失われてしまっていることがわかりました(写真4)。
しかし、それ以下の中世以前とみられる層は良好に残っていました。 調査ではすべてを掘り下げず、中央の壁際を一部分方形に深掘りして下層の確認をしています(写真5)。 下部には平安時代の遺物を含む層が60センチ以上続いて堆積しており、古代には谷や凹地状の低い場所にあたっていたようです。最終的に、壁面の記録を作成し、調査を終了しました(写真6)。
藩邸の遺構そのものをみつけるには至りませんでしたが、この場所には、下部の層に掘り込むような深い江戸時代の遺構は存在していない、ということは確認出来ました。こうした状況証拠を積み重ねながら、藩邸の実像に近づいていくことを目指します。また、古代の堆積状況も、この地一帯のかつての景観や開発のありようを考えていく上で重要な情報を得ることができたと言えます。
今回の調査にあたり、本部施設部企画課、北部構内事務部施設安全課、理学研究科をはじめとする関係各位のみなさまには、さまざまにご配慮と援助をいただきました。また、調査中学内学外の多くの方に訪問いただき、ご助言をいただきました。末尾ながら厚く御礼申し上げます。