弥生時代の遺構
弥生時代の水田跡1

時代細分:弥生時代前期
調査地点:吉田南構内 AO22区
解 説:
弥生時代前期の水田遺構。田面に著しい凹凸をもち、南北方向の畦畔で10㎡以下の規模からなる北半水田と、水田面が平坦であり、ひとまわり大きめの東西方向の南半水田にわけることができる。
小規模の後背湿地上に立地しており、完成度の高い小区画水田造成技術のありようを、具体的に知ることのできる資料である。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 1995年度)
弥生時代の水田跡2

時代細分:弥生時代前期
調査地点:北部構内 BC28区
解 説:
弥生時代前期の水田遺構。水田域は、ゆるやかに高まる空閑地をはさんで東西の2つにわかれ、平坦地を広面積に確保できない条件での土地利用をうかがうことができる。
細長い小規模の区画を整然とならべて造成されており、プラント・オパールが少量しか検出されなかったことから、短期間で放棄されたものと考えられる。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 2000年度)
弥生時代の土石流

時代細分:弥生時代前期末
調査地点:北部構内 BD30区
解 説:
弥生時代前期末に、比叡山南半の花崗岩地域からもたらされた土石流の痕跡。
土石流堆積物である黄色砂層は、北部構内を中心に吉田キャンパスの多くの地点で確認されており、厚いところでは2mを越え、堆積土砂量の総計は70万m3におよぶと算出されている。黄色砂には2mを越えるような巨礫も含まれており、規模の大きさを知ることができる。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和56年度)
弥生時代中期のV字溝

時代細分:弥生時代中期
調査地点:京都府美月遺跡(京大大学院農学研究科附属牧場内)
解 説:
上面の幅約2.5m深さ1m程度をはかる断面V字形の溝で、溝底はさらに方形に掘込まれている。南端が流路に連なり、北へ向かって溝底は下がっていくことから、取水路の機能を果たしていたと想定される。弥生集落を囲む環濠を彷彿とさせる堅固な溝である。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和56年度)