古墳時代・古代の遺物

埴 輪
吉田二本松8号墳出土の埴輪
【吉田二本松8号墳出土の埴輪】

時代細分:5世紀末

調査地点:吉田南構内 AN21区

解  説:
埴輪は、日本の国家形成期(紀元3~6世紀)に、有力者の古墳を飾るために生産された。吉田二本松8号墳からは30個体以上の埴輪が出土しており、円筒埴輪や朝顔形埴輪とともに、人物埴輪や馬形埴輪、そして家形埴輪といった形象埴輪も見つかっている。これらの一括出土埴輪は京都を代表する埴輪と言える。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 2013年度)

古墳に副葬された須恵器・土師器
古墳に副葬された須恵器・土師器
【古墳に副葬された須恵器・土師器】

時代細分:5世紀末~6世紀初頭

調査地点:吉田南構内 AP22区

解  説:
一辺10~13mの方形墳に副葬されていた古墳時代の須恵器と土師器。現在まで吉田南構内においてみつかった方形墳は6基におよぶ。5世紀末から6世紀初頭に位置づけられるこれらの遺物には、杯の蓋と身、高杯、甕といった各種類がそろっており、当時用いられていたうつわの内容がよくわかる資料である。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和57年度)

古代の土器・陶器
古代の土器・陶器
【古代の土器・陶器】

時代細分:9世紀後半

調査地点:北部構内 BF34区

解  説:
幅1m弱、長さ28mをはかる東西溝の西端から集中して出土した9世紀後半の土器・陶器。出土した土器・陶器の個体数は口縁計測法によれば100点弱にのぼる。そのなかには、東海産の緑釉陶器や灰釉陶器の優品、白色土器三足盤といった特殊な器種もふくまれており、貴族の別業や寺院との関係が推測される。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 1994年度)

土 馬
平安時代の土馬
【土 馬】

時代細分:9世紀後葉

調査地点:吉田南構内 AO22区

解  説:
1993~94年にかけておこなわれた吉田南構内の発掘調査で、平安時代(9世紀後葉)の井戸から出土した土馬(どば)。全高6cm(胴部高3cm)、全長5cmで、尾の先端をわずかに欠失している。9世紀中頃~末頃の型式に比定されるもので、出土の状況と整合的である。
完形に近いこと、井戸の水溜部から単独で出土したことから、特別な配慮をもって埋められた可能性も想定される。

(「京都大学構内遺跡出土の平安時代土馬-吉田南構内AO22区出土資料の紹介-」京都大学構内遺跡調査研究年報 2016年度)

火 舎
平安時代末の火舎
【平安時代末の火舎】

時代細分:平安時代末

調査地点:病院構内 AE15区

解  説:
器面にわずかに金粉がのこる佐波利製の火舎。器形や猪目の透かしが、和歌山県白浜町や京都府花背第一経塚からの出土品に酷似し、平安時代末の製品と考えられる。火舎とともに佐波利製の六器が一点出土しており、なんらかの密教法会がおこなわれたのだろう。11~12世紀にかけて白河地域に展開した、六勝寺や院御所との関連が注目される。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和51年度)

ページトップへ戻る