近世・近代の遺物
玩具(泥面子・人形他)

時代細分:18~19世紀
調査地点:構内各所
解 説:
江戸時代の土製玩具類。人や動物などをかたどった伏見人形と、直径3㎝前後の円盤に文字や数字、文様を陽刻する泥面子にわけられる。江戸時代の京都大学構内は、吉田村や聖護院村の田畑が広がる景観であったことが絵図や文書などから確認でき、玩具類の多くは、こうした田畑の土層からみつかっている。
乾山焼・陶片

時代細分:18世紀中葉
調査地点:病院構内 AE19区
解 説:
享保16(1731)年ごろ、尾形乾山が江戸へ下向したのち、京では養子・尾形猪八が2代乾山を名乗って、聖護院門前で乾山焼を継いだことが初代乾山著『陶磁製方』にみえる。2001(平成13)年の発掘調査で、写真に掲げた乾山銘をもつ陶片や窯片が多数見つかった。製品には高火度焼成品、低火度焼成品ともにある。文献にみえる聖護院窯の実態をしめす考古資料である。
(「京都大学病院構内出土の乾山焼関連資料」日本考古学協会第69回研究発表要旨,2003年)
蓮 月 焼

時代細分:19世紀中葉
調査地点:病院構内 AG20区
解 説:
幕末の歌人、大田垣蓮月(1791~1875)が製作した蓮月焼。蓮月焼は、蓮月が自詠の和歌を釘彫りした茶器で、当時の文人墨客の煎茶趣味と合致して名声を博したとされる。みつかったものは焼き損じたものばかりであり、聖護院村の北辺(病院構内東南部)に居住した60歳代後半から70歳代前半の作品と考えられる。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 1996年度)
尾張藩邸関連遺物

時代細分:19世紀中葉
調査地点:本部構内
幕末の本部構内には尾張藩吉田邸が所在した。本部構内で出土する幕末期の遺物は、尾張藩邸に詰めた藩士達が生活の中で使用したものと考えられる。
出土遺物の中には尾張藩とのつながりを示すものも含まれる。例えば、「御小納戸茶碗」は国元の尾張で生産された茶碗で、東京に所在した尾張藩市谷邸跡でもみつかっている。
三高・京大関連遺物

時代細分:19世紀後葉~20世紀前葉
調査地点:本部構内・吉田南構内
解 説:
発掘調査では、第三高等学校や帝国大学時代の遺物もしばしば出土する。「第三高等学校」と呉須で筆書きした茶碗は吉田南構内、それ以外は本部構内から出土した。図案化された大学マークをもつ土瓶・茶碗は、底に「本」の銘をもつことから本部で、「法」のマークをもつ土瓶は法学部で使用されたことを示している。これらは、地元・清水焼の窯元による注文生産品である。