中世の遺物
褐釉陶器

時代細分:12世紀
調査地点:吉田南構内 AP22区
解 説:
蔵骨器として用いられたと推定される12世紀の褐釉陶器四耳壺。出土地点の付近からは上部に配石をもつ土壙墓が多数みつかっており、須恵器の甕や灰釉系陶器の甕、瓦器の鍋などを蔵骨器とする土壙墓もある。褐釉陶器四耳壺が出土した墓壙もふくめ、遺構自体は13~14世紀を中心とするものと考えられる。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和57年度)
中世の軒瓦

時代細分:13世紀
調査地点:西部構内 AW20区
解 説:
鎌倉時代の邸宅跡から出土した軒瓦。剣頭文や巴文という幾何学的な文様をおもに用い、古代の瓦よりも小振りとなっている。軒先以外の平瓦や丸瓦の出土量は多くないことから、総瓦葺きではなく、棟の頂部や塀にともなうものだったかもしれない。製作した工人や工房などを示す記号ともいわれるさまざまな刻線による記号や刻印が多く認められることも特徴といえる。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 2009年度)
黄釉陶器鉄絵の盤

時代細分:13世紀中葉
調査地点:本部構内 AW27区
解 説:
13世紀中葉ごろの廃棄土坑から大量の遺物とともに出土した陶器の盤。口径34㎝。下地に黄褐色の釉を厚くかけ、口縁部と内面に鉄絵の装飾を施す。中国福建省泉州の晋江県磁竈窯の生産品とみられ、長寿を祝う「福海壽山」の文字を描いている。日本に将来された資料としては類例が少ない逸品である。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 1988年度)
漆器の椀

時代細分:13世紀後葉
調査地点:医学部構内 AM17区
解 説:
13世紀後葉ごろの井戸の底部から出土した漆器の椀。土圧でつぶれながらも7割ほどが残存する。黒色漆の地の内外面に赤色漆で竹笹の文様を端正に描いており、写真は底面側より撮影したもの。出土した一角は、勧修寺流藤原氏など貴族の邸宅や堂舎の推定地にあたり、当時の貴族の嗜好をうかがうことができる。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 1992年度)
香 炉

時代細分:14世紀
調査地点:医学部構内 AN20区
解 説:
全面に濃緑~茶褐色の釉がかかる三足の古瀬戸の香炉。丸味をおびた胴部に大きく外反する頸部がつく器形で、口縁端部は波状につくる。円形の浮文を頸部と胴部の境のくびれた箇所に一列に配し、胴部には沈線によって蓮華文を描出している。14世紀前葉から中葉にかけての土取り穴が埋積したあとにできた浅いくぼ地から出土した。
(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和58年度)