「白川道プロジェクト(通称)」による発掘調査(2020.12.21~12.25)

京大文化遺産活用部門のメンバーが昨年度より進めている通称「白川道プロジェクト」(科学研究費補助金基盤研究(C)19K01094「都市近郊歴史像の再構築-京都・白川道の研究を基盤として」代表・千葉豊)の一環として、12月21日~25日にかけて、吉田キャンパス本部構内において発掘調査を実施しました。

調査区の設定と基準点測量(文学部東館中庭)
【写真1 調査区の設定と基準点測量(文学部東館中庭)】
東へ下る落ち込み(文学部東館中庭:北から)
【写真2 東へ下る落ち込み(文学部東館中庭:北から)】
文学部東館北側の調査区(東から)
【写真3 文学部東館北側の調査区(東から)】
総合研究7号館東側の調査区(南から)
【写真4 総合研究7号館東側の調査区(南から)】

初日は、文学部東館の中庭と北側、さらに総合研究7号館の東側の3箇所に調査区を設定し、基準点測量をおこないました。2日目から、機械力と人力を用いた掘削調査に入りました。文学部東館中庭、文学部東館北側の地点は、幕末に設置された尾張藩吉田屋敷の東を限る堀跡の確認、総合研究7号館東側の地点は、古代・中世の白川道の正確なルートとその年代・構造の解明を目的としたものです。

文学部東館の中庭および北側の地点は、ともに近代以降の造成や既存の管路などで、遺跡が大きく破壊されておりましたが、中庭地点で東へ向かって下がる溝状の落ち込みを発見しました。残念ながら、この幅や長さなどは確認できませんでしたが、検出した位置から尾張藩吉田屋敷の東を限る堀跡の可能性が考えられました。

一方、総合研究7号館東側の地点では、1986年に発見されていた中世白川道の東の延長上で、良好な形で保存されている白川道を検出することができました。遺物がほとんど採集されなかったので、細かな時期比定までには至りませんが、中世でも後半段階のものと考えられます。この中世白川道とより北側をはしっている近世白川道のあいだには、別の時期の道路は存在していないことも確かめました。

文学部東館中庭および総合研究7号館東側の調査地点は昨年度、天理大学文学部歴史文化学科考古学・民俗学専攻の教員・学生諸氏のチームのご助力を得て、電気探査をおこなった地点に重なっています。今後、電気探査の解析結果との比較照合を進めるとともに、文学部東館中庭で確認された落ち込みが幕末尾張藩邸の堀跡にあたるのか、次年度新たな調査を企画して解明に努めたいと考えています。

調査にあたっては、施設部及び関連部局の皆様にご配慮いただきましたこと、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

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