資料室「尊攘堂」

尊攘堂の概略
資料室「尊攘堂」外観
【尊攘堂・外観】

尊攘堂の名は、子爵品川弥二郎が吉田松陰の遺志をくんで1887(明治20)年に高倉通錦小路に創設し、維新における尊攘の功ある人々を記念したものに由来する。
現在の建物は、品川の死後本学に寄贈された松蔭の遺墨類をおさめるため、1903(明治36)年に建てられた。外装を化粧した煉瓦造平屋建・寄せ棟屋根の擬洋風建築とよばれる建物で破風付きの窓、小屋根、切妻のポーチなどの洋風要素を配している。また内部は、扁平なアーチをもつ一段高い小室が奥に控える左右対称平面で、中央広間の天井をめぐる漆喰装飾と照明の唐草装飾とがあいまって、華やかな印象を醸し出している。

尊攘堂は1998(平成10)年に国の登録有形文化財として登録された。

尊攘堂の内部と展示
尊攘堂の内部と展示の様子
【尊攘堂内部・展示室】

1989(平成元)年、尊攘堂は埋蔵文化財研究センター(文化財総合研究センターを経て、現在は京大文化遺産調査活用部門)の資料室となった。2019年度からは大学院文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センターの資料室として、おもに大学構内における埋蔵文化財調査成果の保存・展示目的に引き続き使用されている。

品川弥二郎による志士の遺墨・遺品などの寄贈資料は、現在は維新特別資料として京都大学附属図書館に収蔵・保管されており、京都大学貴重資料デジタルアーカイブより公開されている。

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
維新特別資料文庫(外部サイト) 

尊攘堂石碑について
尊攘堂・石碑
【尊攘堂・石碑】

この石碑は、1940(昭和15)年10月に皇紀2600年を記念して建てられ、1945(昭和20)年8月21日に撤去されている(『京都大学附属図書館六十年史』)。
その後、ながらく所在が不明となっていたが、2013(平成25)年3月1日、本部構内で遺跡の立合調査をおこなったさい、樹木の根元に放置された状況で置かれているのを偶然発見した。
石碑の正面に「尊攘堂」、一側面に「皇紀二千六百年記念」と刻まれ、また別の側面にはこの建物の由来が刻まれており、皇紀2600年を記念して作成された『尊攘遺芳』(京都帝国大学、昭和16年)に写真が掲載されている石碑と同一であると確認できた。
このため、文化財総合研究センター(当時)では、この石碑は尊攘堂の沿革を知る上で、重要な文化財であると考え、施設部にご協力をいただき、2014(平成26)年12月、元あった場所に近い位置に復旧した。

尊攘堂は通常非公開ですが、内部および展示品についてはWeb上にてバーチャルツアーを公開しております。
尊攘堂パノラマツアーはこちら(外部サイト) 
直接見学をご希望の方は、京大文化遺産調査活用部門事務室までお問い合わせ下さい(TEL:075-753-7691)。

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