「白川道プロジェクト(通称)」による発掘調査(2021.07.28~07.31)

京大文化遺産活用部門のメンバーが一昨年度より進めている通称「白川道プロジェクト」(科学研究費補助金基盤研究(C)19K01094「都市近郊歴史像の再構築-京都・白川道の研究を基盤として」代表・千葉豊)の一環として、7月28日~31日にかけて、吉田キャンパス本部構内において発掘調査を実施しました。

この調査は、 昨年12月の調査で確認された東へ向かって下がる溝状の落ち込み が幕末に設置された尾張藩邸の東を限る堀跡であるかどうかの確認を主たる目的としました。初日は、文学部東館の中庭、前回の調査区の南側に調査区(A区)を設定し、基準点測量をおこないました。

A調査区(西から)
【写真1 A調査区(西から)】
A調査区南壁断面
【写真2 A調査区南壁断面】
B調査区(北から)
【写真3 B調査区(北から)】

2日目から、機械力と人力を用いた掘削調査に入りました。A区の南壁断面で、幅が推定3.6m、深さが約1mのU字状の落ち込みを検出できました。
この落ち込みが堀として伸びるかどうかを探ることを目的としてA区から11m南に調査区(B区)を新たに設定しました。B区では、地表下2mまで攪乱されており、これ以上の掘削ができず、残念ながらB区では堀の存在を確認することはできませんでした。

A区で堀状の大きな落ち込みが見つかった地点は、本部構内南辺で尾張藩邸の南東角の堀跡が見つかった地点の北へ直線的に延びる地点にあたっています。B区での確認はできませんでしたが、A区の落ち込みから幕末に編年される陶器が出土していることも勘案すれば、今回検出した落ち込みは尾張藩邸の東を限る堀跡とみなしてよいと考えられます。

尾張藩邸の四周を限る堀跡は、南側と西側に関しては発掘調査や立合調査で確認していますが、北側に関しては確認できておらず、東側に関しては立合調査で溝状の落ち込みを確認できているにすぎませんでした。今回の調査で、東側の堀跡が「吉田御屋敷惣図」に描かれているように存在していたことを確かめられたのは大きな成果となりました。

調査にあたっては、施設部及び関連部局の皆様にご配慮いただきましたこと、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

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