古墳時代・古代の遺構

埴輪を伴う古墳 
埴輪を伴う古墳(吉田二本松8号墳)
【吉田二本松8号墳】

時代細分:古墳時代中期・5世紀末

調査地点:吉田南構内 AN21区

解  説:
吉田南構内の吉田二本松古墳群で新たに見つかった8号墳は、本古墳群で埴輪をもつ唯一の古墳である。調査された東と南の周溝から多数の埴輪片が出土した。円筒埴輪や朝顔形埴輪は両周溝に見られるが、形象埴輪は南周溝にしか認められない。
京都にはこの時期の埴輪をもつ古墳の数が少なく、これらの埴輪は8号墳がこの一帯を支配した豪族の古墳だったことを物語る。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 2013年度)

古墳時代中期の方形墳
古墳時代中期の方形墳
【古墳時代中期の方形墳】

時代細分:古墳時代中期・5~6世紀

調査地点:吉田南構内 AP22区

解  説:
二重の周濠がめぐる一辺10~13mの方形墳。中世の土壙墓によって破壊を受けているが、主体部の痕跡を確認することができ、出土した須恵器から5世紀末から6世紀初頭の年代があたえられる。
近接した地区に同様な方形墳を他に5基検出しており、未発見の古墳の存在も予想され、「吉田二本松古墳群」として捉えることが可能である。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和57年度)

奈良時代の竪穴住居
奈良時代の竪穴住居
【奈良時代の竪穴住居】

時代細分:奈良時代・8世紀後半

調査地点:本部構内 AT27区

解  説:
3m四方の隅丸方形を呈する竪穴住居。8世紀中葉のものと推定される。柱穴4つが1.4m前後の間隔で存在し、竪穴と柱穴はともに真北から約1度東に振っている。壁面は残りのよいところで30㎝残存し、確認できた二枚の床面のうちでは、上の床面のほうがやや大きい。下の床面では、小規模な炉と住居外へのびる溝がみつかった。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和55年度)

奈良時代の石敷製塩炉
奈良時代の石敷製塩炉
【奈良時代の石敷製塩炉】

時代細分:奈良時代・8世紀後半

調査地点:和歌山県瀬戸遺跡(瀬戸臨海実験所構内)

解  説:
約30個の石を平らな面を上にして馬蹄形に敷きならべた奈良時代の製塩炉。火熱のために赤色や赤紫色に変色した石が、東西1.4m、南北1.5mの範囲で密にならぶ。
付近の土器溜からは、円筒形の胴部と尖り底ないし尖り気味の丸みをもった器形の製塩土器がみつかっており、南紀を代表する製塩遺跡となっている。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和57年度)

平安時代の梵鐘鋳造遺構
平安時代の梵鐘鋳造遺構
【平安時代の梵鐘鋳造遺構】

時代細分:平安時代中期・9世紀末~10世紀初頭

調査地点:吉田南構内 AP22区

解  説:
平安時代中期の梵鐘鋳造遺構。掘形は一辺2.5mの隅丸方形で、深さは検出面から1m。底面には鋳造のための定盤が設置されていた。定盤は黄色粘質土を焼成したもので、表面には幅7㎝、高さ5㎝、外径104㎝の凸帯がめぐる。溶解炉の残片のほかに梵鐘の鋳型もみつかっており、近接した寺院の存在が推測される。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和57年度)

平安時代の経塚遺構
平安時代の経塚遺構
【平安時代の経塚遺構】

時代細分:平安時代後期・12世紀中葉

調査地点:吉田南構内 AR24区

解  説:
遺構は、石室内に青銅製の四段積上式経筒を納めたものとみられ、台座裾部の径13㎝。台座内部からは150個以上のガラス玉も出土した。四段積上式経筒は、1136年~1152年の紀年銘をもつ事例が知られ、おもに北部九州で出土する。分布域を大きくはずれた出土例として、貴重である。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 2001年度)

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