中世の遺構

中世の火葬塚(復元)
中世の火葬塚(復元)
【中世の火葬塚(復元)】

時代細分:平安時代末~鎌倉時代

調査地点:北部構内 BE29区

解  説:
平安時代末から鎌倉時代に築造された火葬塚。一辺15mの溝の内側に7.8m四方の溝を掘り、内部に底面4.8m四方、上面3.0m四方の正四角錐台状の土壇を設ける。
火葬塚は、埋葬地である陵墓や火葬墓とは異なり、火葬所を記念して築いた塚のことで、埋め戻して現地保存をし、その上に復原をおこなった。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和53年度)

鎌倉時代の邸宅跡
鎌倉時代の邸宅跡
【鎌倉時代の邸宅跡】

時代細分:鎌倉時代・13世紀

調査地点:西部構内 AW20区

解  説:
建物の縁辺を飾る幅1.4mの精美な石敷と雨落ち溝。一辺11.8mの方形堂とみられる建物を囲むもので、その内側からは大規模な掘込地業も確認されている。鎌倉時代の太政大臣西園寺公経(1171~1241)の別邸「吉田泉殿」を構成する建物のひとつであろう。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 2009年度)

中世の梵鐘鋳造遺構
中世の梵鐘鋳造遺構
【中世の梵鐘鋳造遺構】

時代細分:鎌倉時代前期・13世紀前葉

調査地点:医学部構内 AN18区

解  説:
鉄製の梵鐘を鋳造した13世紀前葉の遺構。鋳造時の原位置をたもつ内型(外径30㎝、残存高15㎝)と、その周辺に散乱する外型からなる。鋳造坑を検出できなかったことから、鋳造時には内型が地表面上に設置されていたと考えられる。
鋳造された梵鐘は、京都太秦広隆寺所蔵の鉄製梵鐘に類似するものと推測される。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和60年度)

鎌倉時代の木棺墓
鎌倉時代の木棺墓
【鎌倉時代の木棺墓】

時代細分:鎌倉時代・13世紀

調査地点:本部構内 AT27区

解  説:
不整円形のすり鉢状掘形に、1.0m×2.1mの長方形の浅い掘り込みをもつ土壙墓。底部から鉄釘と木片が出土し、鉄釘の分布から0.6m×1.8mの木棺の存在が想定される。
木棺の主軸は真北から約8度東に振り、棺内西北隅から11~12世紀初頭の定窯系劃花蓮弁文の白磁小椀がみつかったことから、遺骸は北枕に埋葬されたと考えられる。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和55年度)

室町時代の井戸と土器溜
室町時代の井戸と土器溜
【室町時代の井戸と土器溜】

時代細分:室町時代前期・14世紀中葉

調査地点:医学部構内 AN20区

解  説:
底部に方形の木枠をもつ円形の石組井戸。土取り穴の埋積後に造作されている。
井戸の埋土からは、整理箱にして15箱分、口縁部計測法で850点弱を数える14世紀中葉ごろの遺物が出土した。これらの中には瓦器や須恵器、灰釉系陶器なども含まれているが、土師器の皿や椀が99%以上をしめていることに特徴がある。

(京都大学構内遺跡調査研究年報 昭和58年度)

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