京都大学病院西構内 聖護院川原町遺跡(2024年度)

2024年12月26日(木) 手掘りの掘削を開始しました。
近代川跡の護岸(東から)
【写真1 近代川跡の護岸(東から)】
灰褐色土の発掘(北から)
【写真2 灰褐色土の発掘(北から)】

排土用のベルトコンベアを設置し、手掘りによる発掘調査を調査区北側から開始しました。

前回の速報で伝えました川跡からはたくさんの近代の陶磁器などが出土し始めています。
また調査区北端では、西側の川縁が花崗岩の切石と小児頭大の礫で護岸されていました。 東側の川縁には、このような護岸は認められませんでした。

砂礫に覆われた灰褐色の土層は、遺物の出土が多くありませんが、明らかに明治時代まで下る遺物の出土はありません。 江戸時代の耕作土層とみてよさそうです。

上を覆っている砂礫層は幕末に起こった鴨川の氾濫堆積物そのものか、あるいはこの地に設置された練兵場(幕末)、牧畜場(明治初期)にかかわる整地土など、いくつかの可能性があり、調査の過程で明らかにしていきたいと考えております。

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