京都大学病院西構内 聖護院川原町遺跡(2024年度)

2025年01月23日(木) 江戸時代の井戸と野壺
石組みの井戸(南西から)
【写真1 石組みの井戸(南西から)】
石組みの井戸と野壺(西から)
【写真2 石組みの井戸と野壺(西から)】

江戸時代の耕作土である灰褐色土の掘削が終わり、砂礫上面で遺構の検出をおこないました。

その結果、井戸や野壺、柱穴などが見つかりました。 井戸は石組みで作られていますが、石組みが崩落していると判断できるものも含めて、5基以上見つかっております。

井戸の傍らには、径が1.4~1.9mほどで検出面から0.2~0.4m程度の深さをもつ円形の落ち込みも見つかりました。 桶の痕跡等はありませんでしたが、木製桶を設置した野壺(肥だめ)とみられます。

大学構内で江戸時代の遺跡を掘ると、井戸と野壺の組み合わせがよく見つかります。 井戸の水で、肥を希釈して肥料として利用しました。

この界隈では、野壺は木製の桶が古く、幕末明治になると漆喰製に変化することがわかっています。
本調査区では、漆喰製の野壺はみられないので、これらは幕末まで下ることはないと考えています。

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