京都大学病院西構内 聖護院川原町遺跡(2024年度)

2025年01月08日(水) 近代の川跡の掘削
近代の川跡(白線と調査区端との間、西から)
【写真 近代の川跡(白線と調査区端との間、西から)】

前回速報しました近代の川跡を順次、発掘しております。

上部に堆積している砂や砂礫に混じって、近代の陶磁器や煉瓦、ガラス製品などが出土しています。
陶器の中には、見込みに織物に使う杼(ひ)を描いた小椀があり、京都織物会社が社内で使用するために特注した製品とみられます。 より東にあった初期の工場を建て替えるにあたって、より西へ拡張した際に、川を埋めて廃絶させたと考えられます。

また川跡の下部には、灰色のシルトが堆積しており、この層からは幕末に遡る陶磁器が出土しました。 近代に下る明確な遺物は含まれないので、川そのものは幕末にできあがったようです。

19世紀前半までの吉田村を描いた『吉田村古図』にはこの川跡は描かれていません。 川筋は蛇行するので、人工的な開削とは考えがたく、幕末期にあった鴨川の氾濫などが関係しているのかと推定しています。

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