京都大学医学部構内 吉田橘町遺跡(2024年度)

2025年04月04日(金) 今回の発掘作業を終了しました
壁面の精査・分層・記録(西から)
【写真1 壁面の精査・分層・記録(西から)】
石組井戸の記録(西南から)
【写真2 石組井戸の記録(西南から)】

平面での遺構確認と掘削、記録作業をすべて完了した後、調査区の壁際をやや深く掘り下げ、壁面を削って精査・分層し、層位記録図の作成を行いました(写真1)。
この過程で、調査区の東壁際において、管路撹乱の下に石組の井戸が残されていることも判明したため、急遽平面や断面の記録作成もおこないました(写真2:西南から)。

残念ながら、石組井筒の西半分のみであったために、井戸の最終深度までは確認できませんでしたが、出土遺物から鎌倉時代前半期頃のものとみられ、それが埋められた後に整地されて、さらにいくつも中世の遺構が築かれている状況を、断面から知ることができました。

このように、中世白川道に至近の調査地点において、砂礫や砂層を基盤とする不安定な土地条件を克服しながら盛んに造成と開発が繰り返されていた過程が、今回の発掘調査からはあらためて確認できたと言えます。
今後はそれぞれの遺構出土遺物の整理作業から詳細な時期比定を積み重ね、変遷を具体的に復元していくことが課題となります。

以上の作業をもちまして、今回の屋外での発掘調査はすべて終了しました。
本学施設部や医学研究科のみなさま、そして工事関連会社や発掘作業に従事いただいた方々など、今回の調査にご協力いただいた各位に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

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