京都大学病院西構内 聖護院川原町遺跡(2024年度)

2025年01月21日(火) 近代川跡の護岸(続報)
近代川跡の護岸(南から))
【写真1 近代川跡の護岸(南から)】
近代川跡の護岸(北東から)
【写真2 近代川跡の護岸(北東から)】

2024年12月26日の速報で紹介いたしました近代川跡の護岸に関して、新たな状況がわかりました。

調査区北西の調査区壁際を精査したところ、西側にもう1列、花崗岩の切石の並びがあることがわかりました。
すでに見つかっていた東側の切石は川(東側)へ向けて面をとっており、新たに見つかった切石は西側へ向けて面を作っております。 面間の距離は1.7~1.8mで、その間に拳大から小児頭大の礫を裏込めとした堤防状の護岸であることが明らかとなりました。

このような護岸は川の西側のみに構築されており、東側にはみられません。

この川筋は、明治25年の仮製2万分1地形図に描かれており、京都大学本部構内を流れて吉田山の西麓あたりへと、その流れをたどることができます。
元は、白川道に沿って流れていた水路のなごりと思われます。 川を埋めている堆積物が高野川系ではなく白川系であることもそれを物語っています。

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