発掘速報
京都大学医学部構内 吉田橘町遺跡(2024年度)
2025年03月07日(金) 中世末期遺構面の全景撮影をしました

黄灰色土層を掘り下げ、その下部の茶褐色土上面での遺構を検出し掘削も終えて、全景を撮影しました(写真 北東から)。
茶褐色土は鎌倉・室町時代ころの遺物を大量に含む土層で、それに掘り込むような形で南北・東西方向の幅30㎝程度の溝が複数みつかっています。
耕作の土起こし作業などで生じる鋤溝に類するものかとみています。
中世に屋敷地などとして賑やかだったこの一帯が戦乱で荒廃し、耕地となっていった最初の段階の遺構群と思われます。
溝は、写真右上に写っている古道の白川道と同じような方位で並行してはしっています。
18世紀代以降の古図や地籍図にみるこの付近の耕地区画は正南北の方向を指向していますので、それよりも前、そして鎌倉・室町期以降、であることから、中世末期の遺構面と判断したものです。