発掘速報
京都大学北部構内 北白川追分町遺跡(2025年度)
2025年11月27日(木) 古代末大溝の発見と調査
中世の遺構検出と掘り下げは、遺物包含層の残る東辺部を中心にしながら、調査区の北側から中央付近へと進めてきました(写真1)。
その過程で、東北部に幅2m深さ80cm程度におよぶ規模で南北方向にはしる大溝が検出され、掘り下げを進めています(写真2)。 壁面は垂直に近く掘り込まれ、平らな底面は基盤の砂層まで達しています。
断面でみると下半にはシルトや粘土が、上半は粗砂が埋積しており、この粗砂の中からは、残りの良い12世紀代後半ころとみられる土師器皿が出土しました(写真3)。
こうした状況から、この大溝は古代末(平安時代後期)の12世紀頃のもので、一定程度滞水していた時期もあり、最終的に洪水などで一気に埋没した遺構と判断しています。 濠のような雰囲気がありますが、南方は調査区中央付近で立ち上がって途切れているため、どこかを囲んだりしているのかはわかりません。
岡崎地域の白河街区などでは都市化が進んでいる時期ですが、北部構内の北白川一帯については、これまで火葬塚や耕作関連遺構は確認されているものの、こうした古代末~中世期の遺構はみられず、文献史料でも様相ははっきりしません。
機能や性格の検討はこれからの課題となりますが、いずれにしろきわめて珍しくまた重要な遺構といえるでしょう。