発掘速報
京都大学北部構内 北白川追分町遺跡(2025年度)
2025年09月26日(金) 演習林内の道の遺構
調査区の北側から表土・撹乱の除去を進めています(写真1・東から)。
この作業は、機械の力も借りながら、まず大学設置以降に堆積した層(表土)や掘り込み(撹乱)を除去し、大学以前の段階の層の上面を露出させて、以後の人力での精密な調査に備えることが重要な目的となります。
それは、調査地点で言えば、大正10年(1921)の大学用地として買収された段階の状態をまずあらわにすることを目指す、ということになります。
ただし、大学設置後の時期とみなされる遺構(ここでは撹乱)だからといって、何の配慮も無く取り除いて良いものかどうか、躊躇されるものもあります。
ここではそんな事例の一つとして、現在遭遇している演習林内の道の遺構を紹介しておきます。
今回の発掘地点は農学部附属演習林北白川試験地の東南部にあり、調査前は演習林内を南北にはしる未舗装の道がありました。
調査では、その現道路面の直下から礫を敷き詰めて舗装したしっかりした路面があらわれたのですが、演習林設置後に造成したものと認識して、礫敷きは除去しました(写真2・3:南から)。
下部には周囲と異質な明るい色調の粘土質の土がともなっており、近世の陶器や煉瓦片などがめり込んでいました。
これも大学以降の造成土の可能性もありますが、大学以前の地籍図などにはこの場所に畦道が描かれているため、先行する近世以前の道となるかもしれないので、さしあたりこの面を露出させていくことにしました。
大学演習林造成当時の記録はほとんど残っていないようで、ここで見つけた道は、そうした整備がいかにおこなわれていったかを示す貴重な情報と言えます。
さらには、それが大学設置以前の近世や中世までさかのぼる路面や地割の位置を踏襲しながら進められたとすれば、近代以降の開発のありようを考えるうえで興味深い事例といえます。
詳しくは、断面などで確認しながら今後の調査で検証していくことになりますが、たかが畦道、されど畦道、奥の深い細道となるような気がしています。